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スタッフブログ

舞台を見に行きました

少し前になりますが、舞台を見に行きました。
加藤シゲアキさん主演『粛々と運針』です。

母親が尊厳死を希望していると聞いて動揺する兄と弟、
子供を産むのか産まないのかで悩む夫婦、
2つの家族の葛藤を描く会話劇です。
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40代独身フリーターの兄(はじめ)と30代既婚の弟(つなぐ)。
仕事でキャリアを重ねこの先も夫婦二人で生きていくと決めていたのに、
これからの人生大きく変わってしまうかもしれない局面に立つ夫(おうすけ)妻(さとこ)。

どの登場人物にも共感できる部分があり、でもちょっとそれは違うんじゃない?って思うところもあり、自分の人生の今までとこれからを考えさせられました。

ステージ上でのディジュリドゥ(オーストラリア先住民族の伝統楽器)とリズム隊の生演奏や
セットも構成も素晴らしくて舞台の世界に引き込まれました。

生演奏の音が体に響いてくる感じや役者さんの息遣いは、やっぱり劇場ならではの感覚でした。

まだまだ舞台やコンサートは声が出せなかったり、休演になってしまったりすることもありますが、エンターテイメントに触れることは日常生活ではあまり考えられないことをじっくり考えてみたり、また頑張ろうと思えたり、周りの人達を大切にしようと思えたり。
私にとってはとても大切な時間だなと感じています。

開発部門丸山でした。

レモンフレーバーのお菓子

社内で一緒にランチをいただく中でのブームがレモンフレーバーです。
爽やかなレモンフレーバーが暑い日常と疲れた身体を癒してくれます。

週末のお菓子づくりで息抜きをしている生活な私は、
レモンフレーバーのお菓子を作ってみようとやってみました。

【レモンのマドレーヌ】
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国産レモンを使って、レモン果汁とレモンの皮をたっぷり使いマドレーヌを焼き上げ、
仕上げは、レモン果汁を入れたアイシングとレモンの皮で、ちょっと可愛く美味しくしました。

【レモンのシフォンケーキ】
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こちらもレモン果汁をたっぷり入れて、ガツンとレモン感な仕上がりでした。
レモン好きには、これでもか!なくらい
レモン感ですが万人受けはしないほどの【ガツンと】感
2回目焼いた時には、レモン果汁と牛乳を1:1にして万人受けレベルのレモン感にしました。
写真左上は、グラニュー糖にレモンの皮を混ぜ終わった段階です。
グラニュー糖と皮を混ぜ合わせ、レモン色のグラニュー糖にしてから生地に混ぜる方が
レモンの味が全体に行きわたるので、このひと手間がさらに美味しくなるらしいです。

毎日暑い日がこれから続きますが、
爽やかなレモンフレーバーのお菓子で楽しく暑い夏を楽しみます。

生産部門 西川

ガシャポン

こんにちは、顧客対応スタッフの酒井です。

最近のガシャポンはすっかり大人向けで面白いモノが多く、見ているだけで楽しいですが、この間久々にやってしまいました。

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【純喫茶vol.3】というもので、実在の純喫茶の有名なメニューをガシャポン化したものです。

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この中の「喫茶ボンボン」というお店が名古屋のレトロ喫茶として有名なのですが、小さい頃この店の近所に住んでいたのでとても懐かしくて、このガシャポンが欲しかったんです。
(ちなみにこのお店、今年の4月に行きましたが、私が小学生の頃とほとんど変わってなくてすごい!)

まぁ当たったのは違うお店のやつでしたけどね。残念!

他にカリモク家具のミニチュアも見かけたら回しちゃいますね~
でも1回500円もするので、深追いはしないように自制しています(^^;

もし、喫茶ボンボンのサバランとカリモク家具のミニチュアを余らせている方がいらっしゃいましたら、買い取らせてくださーい。
よろしくお願いします!

初めての喪主代行

こんにちは、マーケティング部門の副島です。
6月初め、母が81才で亡くなりました。誤嚥性肺炎でした。

入居していた老人ホームで5月下旬に食べ物を喉に詰まらせ、血中酸素濃度が70%程度しかない状態となって緊急搬送されました。
その後、酸素濃度は90%台まで戻ったものの、回復のために数日間~1週間の治療が必要と病院から電話で説明を受け、入院5日目には酸素マスクが取れて酸素濃度は98%、呼吸は安定している、と聞かされました。
4月に同じ症状で10日間入院した時と同様に退院の日も近いのでは?と期待していたのですが・・・。

入院9日目の朝5時前、突然携帯電話が鳴り、病院から「母の血圧が下がっていて意識が無い」と、まさかの急変の知らせ!
突然の話に呆然としながら弟や親戚に連絡を取り、バタバタと準備をして6時半前に家を出て地下鉄~新幹線~特急列車と乗り継いで11時過ぎに病院に着いたとき、病室で一人ベッドに横たわっていた母は顔が痩せ細っていたけど、まだ息をしていて、こちらを見ているようでホッとしました。

でも「お母さん、お母さん」と呼びかけても反応はなく、そのうち母の呼吸(喉の動き)が止まっている時間がだんだん長くなってきて・・・。
看護師さんに言われて気付いた時には母の息が完全に止まっていて、12時34分、担当の医師から死亡の宣告を受けました。

母の顔を見て1時間半も経たないうちに亡くなってしまい、遠方から向かっていた弟は間に合わず、県内から見舞いに来た叔母たちも帰った後で、私一人が看取る形になりました。

通夜前の斎場。椅子の間隔を空けて配置されています。

通夜前の斎場。椅子の間隔を空けて配置されています。


それから葬祭場に連絡して、自宅に母の遺体を搬送してもらい、お坊さんを呼んで「枕経」を済ませた後、近隣の親戚が弔問に訪れる中、葬儀会社のスタッフと長時間にわたって打ち合わせを行いました。

通夜~葬儀~火葬の日程調整から始まり、
・斎場のホール(大・小の2択)
・祭壇や供花の種類
・棺の種類、納棺師の手配
・骨つぼ、それを入れる箱
・霊柩車の車種
・火葬場まで行く人を送迎するジャンボタクシー
・通夜の後で親戚に出す料理、火葬場で待つ間に出すお弁当
・初七日から帰ってきたときに食べる料理
・弔問客に渡す香典返しの数と種類、自宅に置く予備
・地元紙のお悔やみ欄への掲載
など、いろんなことを弟や叔母と相談しながら決めていきました。
(スタッフから提示されたパンフレットを見ながら、映画『老後の資金がありません!』を思い出していました。)

遺影に使う母の写真を探したところ30年ぐらい前に働いていた頃のものしかなくて焦りましたが、3年ほど前にデイサービス先で父と一緒に写った笑顔の写真が見つかり採用することに。
遺影の額縁は一般的な黒だと思っていたら、明るい紫色のタイプが母に似合うと勧められて迷ったあげくに紫に決定。
普段着だった元の写真から、合成で着せ替えできると知って、これまたいろんなパターンから迷いながら額縁に合わせて紫色の落ち着いた感じの和服に決定。背景も明るめのオレンジ色にしてもらいました。

また、スタッフの厚意により、思い出の写真をいくつか集めたコラージュ写真を作り、斎場にコラージュ写真と一緒に母が好きだった演歌歌手のカセットテープや民謡の本、デイサービスで書いた塗り絵を展示するコーナーを設置してもらうことになりました。

母のコラージュ写真と思い出の品々のコーナー。

母のコラージュ写真と思い出の品々のコーナー。


翌日には施設に居る父に面会して母のことを伝えました。これが一番つらくて声が上ずってしまいましたが、逆に父から「しっかりしろ」と言われました。
午後から納棺師の方が2名来られて母の身体を清め、母の衣装ケースの中にあった着物を着せたあと、親類一同で母が愛用していた服を棺の間に詰め込みました。
(入れすぎると火葬に時間がかかるとのことでしたが)

それから斎場に移動し、すぐそばの市役所に死亡届を提出。司会者の方に対して病気がちだった母の思い出を語っていたとき、不意に涙が出てしまいました。
こじんまりとした式のため参列者の数は少ないながらも親戚や同級生、近所の方が見えられてお悔やみの言葉をいただき、こういう形での久しぶりの再会にまた涙が出そうになりました。

18時から通夜が始まり、父も施設から車で送ってもらって参列。最後には、前夜に葬儀会社の担当スタッフから渡されていた「お通夜の挨拶例文」を少しアレンジしたものを喪主の父の代わりに読ませていただきました。
その夜は斎場の控え室に宿泊。人数以上に注文してしまった料理は食べきれず、線香の火を絶やさないように2時間ごとに起きて朝を迎えました。(13時間は消えないという線香でしたが念のため)

午前中、スタッフから遺族の焼香の際の段取りの説明(お坊さんや参列者への礼の仕方など)を受け、司会者が母のエピソードを紹介してくれた後、13時から葬儀が始まりました。
喪主の父の焼香の際には隣で手を支えながらなんとか済ませ、続いて自分の順番が来て緊張しながら祭壇の前に進んでお祈りしました。前日と同様、最後に「遺族・親族代表挨拶文」を読み上げて無事に終了。
棺の中に祭壇の花や思い出の品を入れて出棺。その際にも参列者の方に短く挨拶して火葬場に向かい、火にかけられる前の母の顔に「ありがとう」と言ってお別れしました。

火葬が終わった後、お寺に移動してその日のうちに三日参り、初七日まで済ませ、帰宅したのは18時近くになっていました。

父に代わって身内の葬儀を初めて取り仕切ることになり、慌ただしく時が過ぎていく中、何をすればいいのか戸惑うこともありましたが、弟家族や従兄弟をはじめ、親戚、友人、地区の皆さん、介護サービスの皆さん、葬儀会社、それにお寺のお坊さんなどのお蔭で滞りなく進めることができました。

その後、お骨になって自宅に帰ってきた母を誰もいない家に置いてはおけず、位牌だけを大阪に持って帰ることに。お骨と遺影をお寺に持参して二七日(ふたなのか)から六七日(むなのか)までの一週間ごとの法要をお願いしました。

それからも各所への相談・届け出、施設からの母の荷物の引き上げ、病院への入院代の支払いなどを済ませ、母が亡くなってから6日経った夜にようやく大阪に戻りました。
帰りの特急列車に乗ったときは気が抜けたのか眠気を感じ、新幹線に乗り継いだ直後は急に涙があふれてきて30分以上止めることができませんでした。(隣の席に誰も居なくて良かったです。)
翌日、8日ぶりに会社に出勤すると、たくさんの方から温かい言葉をかけてもらい、そこでも胸にグッとこみ上げるものがありました。

母は私の小さい頃から身体が弱く、あちこちの病院に入院したり、脳腫瘍や乳がん、子宮筋腫などの病気になったりしていました。
そして私は高校卒業後に関西に出てきて大学中退、阪神大震災被災、結婚しない、正月にも帰らない、帰省しても走るの優先…と自分の好き勝手に生きてきて母には心配をかけてばかりでした。

他の家族もいろいろあって心穏やかな人生ではなかったかもしれません。でも、5年前に母が倒れて数ヶ月間入院してからは帰省する回数が増えたので、少しは親孝行できたのかな・・・?
毎朝、母の祭壇にごはんとお茶、お水をお供えするのが日課になったこともあり、亡くなってから母のことを思い出したり考える時間が多くなりました。
これから母にはゆっくり休んで、静かにこちらを見守ってほしいと願っています。

父の日にアーツギフトから「くりーむパン」を父に贈り、同じものを母の祭壇にお供えしました。

父の日にアーツギフトから「くりーむパン」を父に贈り、同じものを母の祭壇にお供えしました。


母の訃報を知らせることができなかった方には弔事はがきを送らせていただきましたが、今後も四十九日法要~納骨、相続の手続きや遺品の整理などが続きます。
先月末から今月初めにかけて、父の通院の付き添いや母の様々な手続きのため帰省して同級生のいとこに会った時、四十九日の法事の準備に一部漏れがあったことが発覚!

白木の位牌から本位牌に変えるため地元の仏壇店への発注、仏間に飾るお花の手配、猫が破ってボロボロになった座敷の障子の貼り替え依頼は済ませていたものの、出席者のお弁当や引き出物、そして母にお供えする御霊供膳(おれいぐぜん)のことが全く抜け落ちていました。法事までに間に合うよう慌てて手配を進めているところです。
そして、四十九日が終わり「忌明け」となったら香典返しも忘れないように準備をしていきます。

気がかりなのは全国でコロナの感染が再拡大していること。なんとか無事に法事を済ませることができて母に落ち着いてもらえるよう願う日々です。
これからは残された父を支えるために、私自身も心身の健康を保ちながら頑張って生きていこうと思います。

今年3月のお彼岸の時に施設を訪問し、窓越しに電話したのが最後の面会でした。

今年3月のお彼岸の時に施設を訪問し、窓越しに電話したのが最後の面会でした。


長くなってしまいましたが、最後に、皆さんの中で、お年を召された親御さんがいらっしゃる場合は、(今は難しいということがあるかもしれませんが)話をしたり、会いに行ったり、できるうちにたくさんしてあげてくださいね。

最近の音楽フェス事情

◇音楽ライブの現状

野球やサッカーでは入場者の制限が無くなって来ていますが、
音楽シーンでも入場者はコロナ前に状況になりつつあります。

ただ、何故か不思議なのは、スポーツでは点が入ると大歓声が起きてもOKなのに、
音楽ライブでは声だしはダメ。
一切の声が出さずに聴く状態が続いているのが現状です。

世間から音楽はどうしてもスポーツよりも下に見られるのがコロナで分かったことで、
同じ事をすると批判の対象になってしまいます。
それでも、緩くなっているスポーツ観戦と違って、
ルールを厳守しています。
先月甲子園球場に阪神タイガースの試合を見に行きましたが、
同じ事をしたら批判されることに凄い矛盾を感じました。

◇フェスの良いところ

今年は2本のフェスに行きました。
1本はコロナの影響もあって、約3年振りの開催。
もう1本は昨年コロナの影響で
途中で延期になってしまいましたが、
今年は無事開催。

フェスの楽しさは自分のペースで色んなアーティストを見られること。
好きなアーティストや、初めて見るアーティスト、
新人のこれからというアーティストにも出会える所。
そして多幸感を感じられる場所。

◇フェスの効果

先日メディアで音楽フェスに行った人の学術結果が出ていましたが、
行った後「人にやさしくなる効果がある」というものがありました。
それは納得な所で、音楽フェスは人と人の基本譲り合いです。
「自分が自分が」では
なりたたないコミュニティ空間です。
「相手を尊重する」という精神が必要で、
それが実生活にも好循環をもたらします。
困っている人、体調が悪い人には手を
差し伸べる事が誰もが普通に出来る空間です。

◇自分の理想は…

出来る事なら新潟のフジロックフェスティバルと
北海道のライジングサンロックフェスティバルは毎年行きたい…。
特にライジングはめっちゃ良いのでおススメです。
関西からは中々ハードルが高いですが…。

もっと高いハードルだとイギリスのグラストンベリーフェスティバルは
一度は行ってみたいです。多幸感のレベルが半端ないはず。

これを書いている段階で、先週末に京都大作戦というフェスがあり行ってきましたが、
今週末にも続きがあります。出来る範囲での参加ですが、楽しみたいと思います。

生産部門 太田

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↑↑
5月のフェス 暑くもなく、芝生でのんびり

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↑↑↑↑
7月のフェス。
1日目は梅雨明けをして夏の暑さ。
と思ったら2日目は大雨。
会場は土のグランドなので、田んぼの状態

久々の京都

こんにちは!顧客対応部門の藤原と申します。

以前、娘と急に、久々に京都行こうか!となり行ってきました。

家を出た時間も遅かったので、サクッと清水寺へ。

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娘も久しぶりの京都で、結構楽しんでいました。
清水寺を見た後、梅干しと、マカロンを買って帰宅しました。

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短い時間でしたが、娘とのお出かけは楽しいです!
娘は、来年大学へ進学予定なので、あまり一緒に出かける機会は少なくなると思いますが
一緒に行けるうちに、いろんなところへ行きたいです。

家系ラーメン

こんにちは!

マーケティング部門の土屋と申します。

家系ラーメンってご存知でしょうか?多分名前は聞いたことあるけど実際「家系」って何?って思ってる人が多いと思います。家系ラーメンとは、豚骨醤油ベースで太いストレート麺を特徴とするラーメンの事です!簡単にいうとラーメンにほうれん草が入ってたことがないでしょうか?ほうれん草が入ってるのが家系だと思っていただいて大丈夫です!

僕は色んなラーメンが好きなのですが、特にこの「家系ラーメン」が大好きで色んな家系ラーメンを食べに行き勝手にランキングを作ってました!

今日はこの個人的家系ラーメンランキングを発表したいと思います!!

1位 麺家 あくた川

あくたがわ

京都の今出川の同支社大学の向かい側にあるラーメン屋になります。ここが一番美味しくていまだにここを超えるラーメンに出会いません。家系ラーメンに限らず個人的にはラーメンで一番おいしいと思っております。ぜひ一度足をお運びください!

 

2位 秀吉家

しゅうきちや

滋賀県の守山市にあるラーメンです。ここも相当美味しいのですがあくた川には一歩およばないかなという意味で2位になっております。ここはチャーシュー豚丼もおいしいのでぜひラーメンとセットで食べてみてください!

 

3位 魂心家

こんしんや

こちらはチェーン店になるのですが、魂心家という店で街中で見かけてあこともあるのではないでしょうか?ここもとても美味しくて卵にスープがしみてとってもおいしいです!また見かけたらふらっと寄ってみてください!

以上、家系ラーメンランキングとなります!

まだまだ食べたことなのない家系ラーメンたくさんあると思うので、これからもラーメンいっぱい食べに行ってラーメンランキング更新していきたいと思います!

徳島キャンプ

こんにちは!
生産部門 畝川です。

ゴールデンウィーク中にキャンプ場で2泊しに行ってきました。
今回は徳島へ行ってきました~

一日目は香川県の道の駅で車中泊をしました。
日の出とともに起きて、あたりを散策していると・・・

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かわいいマンホールがあったので、
ついつい写真を撮ってしまいました~

香川と言えば、うどん!ということで
朝食にうどんを食べにいきました~
朝9時ごろに着いたにも関わらずこの行列、、!

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かなり並んでいましたが、回転がはやく30分ほどで食べることができました~
めちゃくちゃ美味しかったです^^

二日目からは食材の買い出しを済ませ、
徳島県のキャンプ場に向かいました~
「相生森林文化公園あいあいらんど」
山奥にあるオートキャンプ場で一日3組限定という点に魅了され決めました!
到着すると僕たち以外には1組しかおらず静かに過ごすことができました。

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三日目は、一日中キャンプ場でゆっくりしていました。
キャンプ場のすぐ近くに温泉があったので、
疲れを癒してマイナスイオンをたくさん浴びたりしました。
焚火をしながら生産性のない会話をするのはすごく有意義な時間でした~
何も考えずにぼーーっとすることがキャンプの醍醐味でもあるからです。

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今までは1泊2日のキャンプが多かったので
ここまでゆっくりできることはありませんでした・・・
したいことをしても時間が余るくらい
余裕を持ったキャンプがしたいと思いました~

結婚式の余興でヒーローショーをしたおはなし

開発部門の上井です。

人生には結婚ラッシュが3回くるといわれています。
25歳前後、30歳前後、35歳前後
とそれぞれのタイミングで周りの友人から
タイミングを合わせたかのように結婚報告が相次ぎます。

30歳を目前にした自分の周りでも例にもれず、人生2回目のラッシュ到来です。

家に届いた結婚式の招待状に添えられているのは、余興のお願い。
これまでに仲間内で行った余興は下記の通り。
・バブリーダンス
・ジャニーズダンス(キンプリ)
・ミュージックビデオ風映像
・メッセージ映像

ありきたりな余興はあらかた二十代のうちにやり切ってしまい新鮮味がない。
今度はどんな余興をしようか。LINEのグループ通話で意見を交わします。

さて、社会心理学の中でこんな言葉があります。
「集団極性化」
会議などの場で意見を出し合った際に、個人で考えるよりも極端な方向の意見へ偏ってしまう現象だそうです。
その中でも、より冒険的な方向に偏ることを「リスキーシフト」、逆により安全な方向に偏ることを「コーシャスシフト」と呼ぶそうです。

「そうだ!ヒーローショーやろう!」
誰かが言ったその一言に賛同の嵐、想定以上のリスキーな意見にシフトしてしまいました。

ヒーローショーをやるとしても予算や時間をかけた派手なことはできないため下記のポイントだけを重点的に抑えようということに。
・ストーリーが分かりやすく、新郎が新婦へ改めて想いを伝えるオチに。
・効果音、衣装、それなりのアクションシーンでしょぼくならないように。

それぞれの役割分担を行いその日は解散。式当日までに準備を進める手筈を整えました。
・台本作成
・衣装調達
・効果音収集
・アクションシーン考案
・スケジュールまとめ、練習場所確保

自分はアクションシーン担当だったため、YouTubeを漁り、手頃なシーンをいくつかピックし
つなぎ合わせた動画を共有しました。(便利な世の中に感謝します)

2週間後、友人が作成した台本を読むと内輪ネタが多く、結婚式に相応しくない表現もあったため
リライトに。2時間後に返ってきた台本は表面だけ修正され、根本的な部分が変わっていない状態に。
何度も書き直させるのも、やる気を削いでしまうかも。といったん今ある台本をベースに自分で作り直させてもらうことに。
内容自体は大きく変えず、問題となる部分を修正し提出。何とか形にはなりました。

衣装担当の様子を聞くと、何やら悪役の兜を手作りするそうで、紙粘土で制作中の謎の物質の写真だけ見せられました。
どう考えても上手くいくビジョンが見えず、それ本当に大丈夫か?と聞くが、本人は高校時代演劇部の部長だったから任せろ。と自信満々の様子。
衣装製作については自分自身もよく分からないので、とりあえずそのままお任せすることに。

効果音に関しては、アクションに合わせて効果音をタイミング良く鳴らす。方式を検討していたが、会場の再生機器とのタイムラグ等の関係でリアルタイム再生は諦めることになりました。
事前にBGM、効果音全て詰め込んだ音源を作成し、音に合わせて演者がタイミングよく動く方式に。
音源制作は、PCに強い。というところで自分が担当することになりました。

練習場所や、練習の日程は何とか2日分確保することができましたが、子供の面倒を見ないといけないメンバーもいたため、
急遽妻と娘と大量のおもちゃを駆り出し、練習スペースの一部を保育所変わりに。

 
そんなこんなで迎えた本番当日。
練りに練った台本は演者が豪快に読み飛ばしたり、悪役の兜は運搬中に角が2本とも抜けてしまい謎のヘルメットへと変貌してしまったりとトラブル続きでした。
会場の皆さんの優しさからか、氷ついた空気を生み出すほどには至らず、何とかやりきることができました。

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新婦は、ヒーローなんて珍しいことをしている新郎を見てか終始楽しんでくれたようでした。

 

誰が言い出したのかヒーローショー。
当日の自分は悪役の手下(ショッカー的な)でしたが、準備段階の大変さから
「助けて!ヒーロー!」と何度も叫びたくなりました。

複数人で1つのプロジェクトをやり遂げるって本当に大変なんだと実感しました。
こんな余興でさえ大変なのだから、業務におけるプロジェクト進行に日々奮闘している方々を本当に尊敬します。
次回は7月の友人の結婚式。
余興はバンド演奏(ひげダン)なので音楽系の部活で活動していた自分たちにとっては、ある程度の練習さえすればOKなイージーゲーム。
当日はボーカル兼キーボードの新郎を邪魔せず、引きたてる演奏を心がけたいと思います。

以上です。

アーツ創立25周年パーティを開催できました。

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▲ 25周年パーティの様子を動画にしました。

1996年3月6日に設立した株式会社アーツは、昨年3月で25周年を迎えました。コロナ禍において目立った行事が出来なかったことも有り、締めくくりの行事として記念パーティを開催しました。

前回(20周年)と違って、ゲストにはお声がけせず、純粋にアーツグループ社員のみのイベントにしました。150名程の社員が参加して約3時間。リラックスした楽しい時間を共有できたと思います。社員が楽しそうにしている様子が見られるというのは、経営者冥利に尽きますね。

4年後の30周年を期に、私はアーツの代表を交代する予定です。それまでに、継続的に成長、発展できる企業グループになれるよう尽力することはもちろん、社員が『健康な人生』が歩める会社を目指して様々な取組を重ねていきます。