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父との別れ~奈良マラソン出場

こんにちは、マーケティング部門の副島です。

6月に亡くなった母の百か日法要(卒哭忌)を9月初めに執り行いました。
卒哭(そつこく)とは、泣くことを表す「哭」を卒業する、つまり亡くなってから百日を機に故人を思い出して泣き暮らすのを卒業し、以前と同じような暮らしに戻りましょう、ということだそうです。

文字通り、気持ちも新たに再スタート、山登りなどを楽しんでいましたが・・・。

西九州新幹線・かもめ号

10月下旬、父の通院付き添いのため西九州新幹線かもめ号を利用。乗車時間わずか6分。


施設で暮らしていた父が10月末から体調を崩し、11月に入院。
3日後に急変の知らせを聞いて職場から駆けつけると父は一旦持ち直してくれましたが、結局、入院から6日後に息を引き取りました。

腎臓を悪くして数年前から投薬の治療を受けていた父がなぜ急に亡くなったのか?
原因が知りたくて解剖をお願いしたところ、膀胱がんができて肝臓や膵臓に転移しており、最終的には腎不全の進行に身体が耐えきれずに死に至った、ということが分かりました。

母の死から半年も経たないうちに父とも別れることになってしまい、喪失感が大きかったです。

でも、10月の通院の際に無理やり自宅に連れて帰り(施設入所後2年半たって初めて)、母のいる仏壇の前で手を合わせてもらっていたことが救いでした。
そして、差し入れのプリンを美味しそうに食べてくれ、翌日の帰阪の前に施設で面会した時に「ありがとう」と言ってくれたことも。
それが父から聞いた最後の言葉でした。

父の一時帰宅

施設入所から2年半たって実現した最初で最後の一時帰宅。


病院で「危ない」と言われてから3日間も命をつないでくれた父。
私や弟、叔母たちが父に何度も呼びかけて励ましたり、今まで家を守ってくれたお礼を伝えたり、心配かけたことを詫びたり・・・、向き合う時間をくれたことに感謝しています。

通夜や葬儀については、母の時は初めての喪主代行としてどうしたら良いか分からず何もかも一人でやろうとしていましたが、その時の反省も踏まえて、正式な喪主となった今回は弟に通夜や出棺時の挨拶を任せたり、友人や親戚の助けも借りたりして滞りなく父を見送ることができました。

父の思い出写真

斎場に展示された父の思い出写真。若い頃はイケメンだったようです。


父の話が長くなってしまいましたが、12月に奈良で行われるフルマラソンが1ヶ月後に迫っていました。

そこで、葬儀の翌日、気分転換も兼ねて少し運動しようと思って実家の近所でジョギング中、ぼんやりしていたのかコンクリートの路面の段差につまづいて転倒!
両ひざ、両手のひらから出血し、特に左膝付近の傷と打撲がひどくて数日間は階段の昇り降りがまともにできず、その後も左足の痛みはなかなか取れませんでした。

練習が思うようにできないまま日が過ぎて、迎えた奈良マラソン当日。
前半は知り合いのランナーの皆さんと会えるのを楽しみながら順調に進んでいきました。

奈良マラソン

奈良マラソン・天理教本部前。まだ好調だった25km過ぎ。


ところが後半31km過ぎの給水の後で腹が痛くなり、35km付近からは足に力が入らなくなり大幅にペースダウン。
苦しい走りの中で、「両親がどこかで見てるかな?」とか「サッカー日本代表のように最後まで諦めずに!」とか思ったけど、身体は動いてくれなくて前に足を運ぶだけで精一杯。

「このペースでは目標の4時間切りは無理」と悟って情けない思いで下を向いていたら沿道からの声援で顔を上げる、ということを繰り返し、40km以降は応援してくれる方々に手を振りながら最後まで歩かずに完走できました。
 
2013年2月から続けてきたサブ4(4時間切り)が途切れてしまったのは残念でしたが、直前にいろいろあった中で完走できて良かったです。

奈良マラソン完走

苦しみを乗り越えて4時間6分38秒で完走!


5年半前に母が一時入院してから始まった両親の介護生活。
担当ケアマネジャー、介護ヘルパー、デイサービス、老人ホームの介護関係者の皆さん、そして、かかりつけ医をはじめ病院関係者の皆さんにはこれまで大変お世話になり、言葉では言い尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいです。

これからは帰省しても両親の顔を見ることはできず、淋しい限りですが、二人をしっかり弔うために健康に気を付けて生きていこうと思います。

京都・知恩院の御影堂

父の葬儀から2週間後、京都の知恩院にて両親の回向(えこう)をお願いしました。