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写真家ソール・ライターについて

コロナの影響で在宅テレワークが決まった4月6日の夕方、本来のスケジュールから10日も早いのですが、急遽このブログの記事を書きました。いつもならカメラを持って行楽ネタを発信するパターンですが、今回は大勢の人で賑わうスポットを闊歩できない状況ですので、NHKの番組「日曜美術館」でも放送されたことのある、米国の写真家ソール・ライターについてご紹介します。

ソール・ライターは、1950年代からニューヨークで第一線のファッション・カメラマンとして活躍した人です。「ELLE」や「VOGUE」など、現在でも超一流のファッション雑誌の写真を撮っていました。私が初めてソール・ライターという名を耳にした時、ソール・ライターって「soul writer」と書くのかな?

「ひょっとして魂のまま描き出す写真家なのかな?」と一瞬思ったのですが、名前のアルファベットをよく見ると全然違いました。ソール・ライターの名前表記は「Saul Leiter」でした(ちなみにサウル(Saul、ヘブライ語:שָׁאוּל)は旧約聖書に登場するイスラエル王国の初代王の名前です)。

二十代前半、出身地ペンシルバニア州からニューヨークへ引っ越してきたソール・ライターは、暗室で多様な実験を試みる写真で作品創りをしていた抽象画家リチャード・プセット=ダートと親しくなり、熱心に写真術の基礎を習得しました。当時のニューヨークは、抽象的な芸術表現がもてはやされていた時代です。

幼き頃に絵画で学んだ色彩感覚をベースに、繊細な視点と独特の遊び心、ユーモア精神を加えた写真はしだいに注目を集め、1950年代に入るとファッション誌の表紙を飾るまでの名声を獲得した彼山本ブロブ (3)は、やがて一流誌の「ELLE」や「VOGUE」などの撮影を任されて不動の地位を築きました。全盛期には、5番街にあった彼の写真スタジオに多くのメディア関係者が集い合い、技量を絶賛する声が満ちていたそうです。

58歳になると自らの写真スタジオを閉鎖し、表舞台から一時期姿を消したものの……。彼の一瞬を切り取る卓越した能力や、類まれなセンスは少しも色褪せることなく、2006年にはカラー写真作品集『Early Color』が世界的に大ヒット! よわい83歳にして写真家ソール・ライターは再び大きな脚光を浴びたわけです。

私も、まだフィルム(リバーサル・スライド)の時代に、ニューヨークで街角スナップを撮影した経験が過去二度あります。一度目はワールドトレードセンターが崩壊するずっと以前のことです。ニューヨークに限らず、アメリカの多くの都市は日本とは陽の光がまるで異なり、景観も際立っているので撮りやすい印象です。なにしろ、写真の場合は、光が絵具です。ニューヨークでもボストンでも、街頭に立って普通に撮っているだけで絵になります。

それにニューヨークならセントラルパークがありますし、チェルシー地区などのレトロな雰囲気の街区も存在。被写体に困ることはまずありません。毎日、街頭でスナップを撮り続けていると、どんどん感覚も研ぎ澄まされます。東京や大阪の街並みよりはるかに素敵な写真が撮れます。

でも、悲しいかな、どんなに熱心にがんばっても、写真家ソール・ライターがいた孤高の高嶺へたどり着くことはできません。彼の見極め力というか、被写体を視る眼力が桁違いなのを思い知らされました。

ソールライター2

あの独特の「ソフトフォーカスを計算しながら醸し出す揺らぎ」とでも言うのでしょうか。不思議な感じの「ちょっとフォギーで艶やかな香気を帯びた写真」を、簡単に撮ることはできません。時々、絵はがき風の写真なら偶然撮れることがあります。でも、それは写真家ソール・ライターがフィルムの中に綴り続けていた深遠な世界観とは別物です。彼を追いかけること、彼の背中を見ることはできませんでした。

ということで、今回は清新な構図が魅力の、私が敬愛する写真家ソール・ライターのご案内でした。4月中旬からJR京都駅に隣接する【美術館「えき」KYOTO】で彼の写真展が開催される予定でしたが、残念ながらコロナの影響で休館中です。

(開発部門 山本)