私が社会人になった1980年代前半頃、
印刷技術は目覚ましい進歩を遂げつつありました。
私が勤務する会社は、先進的な取組が好きな会社だったようで、
他社に先駆けて、最新設備をどんどん導入していました。
まず、活字処理については、
それまでの手動写植機に替わって、
電算写植システムといわれるものが導入され始めていました。
驚いたことに、
当時はまだ、キーボードによる入力が出来ず、
鑽孔テープという紙テープにパンチ穴を開けたものを読み取って、
コンピュータに情報をインプットしていました。
とても高額な設備だったためか、
無菌ルームみたいな部屋を作り、作業員は白衣を着て仕事していました。
今となれば、滑稽で笑えますが、
当人達は、最新技術を駆使している誇りに満ちあふれていたように思います。
一方、カラー画像処理の分野では、
当時のカラースキャナーには出来ない、
レイアウト機能をもたせた画像処理システムが出始めていました。
レイアウトスキャナーとかトータルスキャナー等と呼ばれていたように記憶しています。
(国産初の画像処理システム「シグマグラフ2000」大日本スクリーン製)
製版課長は、
研修中の我々新入社員を前に、
製版技術の未来について、自信に満ちた声で説明してくれました。
「近い将来、文字処理システムと画像処理システムが統合され、夢のような製版システムが登場する」
「当社は、それをいち早く導入することになるだろう」
事実、
それから約10年して、CEPS(セップス)といわれる、
夢の統合製版システムが登場しました。
確か当時の価格で数億円はしたように聞いていましたが、
業界にとって、不幸だったのは、
このような高額なシステムが、ほんの数年で価値を持たなくなったことでした。
それは、
DTPの登場です。
数百万の投資で、製版システムが手に入る時代が来たのです。
私が、アーツを設立したのは、そんな時代でした。
それでも、
一般個人までもが印刷データを作成し、
カラープリンタで印刷してしまう時代が来るとは、
想像すら出来ませんでした。
印刷技術が、
プロフェッショナルのものから、素人でも可能なスキルになったのです。
1990年当時、約9兆円あった印刷市場規模は、
昨年度5兆円台後半にまで縮小しているのは、
技術革新が生んだ大いなる誤算だったのでしょう。
印刷業が大好きな私ですが、
従来のビジネスモデルに固執せず、様々な分野へのチャレンジを方針としています。
もちろん、
お客さまに喜んで頂ける可能性を拡げるための試みです。