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30数年前の印刷現場(2)

私が社会人になった1980年代前半頃、

印刷技術は目覚ましい進歩を遂げつつありました。

私が勤務する会社は、先進的な取組が好きな会社だったようで、

他社に先駆けて、最新設備をどんどん導入していました。

まず、活字処理については、

それまでの手動写植機に替わって、

電算写植システムといわれるものが導入され始めていました。

写植機 (手動写植機)

densan(電算写植システム)

驚いたことに、

当時はまだ、キーボードによる入力が出来ず、

鑽孔テープという紙テープにパンチ穴を開けたものを読み取って、

コンピュータに情報をインプットしていました。

鑽孔テープ

とても高額な設備だったためか、

無菌ルームみたいな部屋を作り、作業員は白衣を着て仕事していました。

今となれば、滑稽で笑えますが、

当人達は、最新技術を駆使している誇りに満ちあふれていたように思います。

 

一方、カラー画像処理の分野では、

当時のカラースキャナーには出来ない、

レイアウト機能をもたせた画像処理システムが出始めていました。

レイアウトスキャナーとかトータルスキャナー等と呼ばれていたように記憶しています。

maguna(当時の最高レベルのドラムスキャナー:マグナスキャン)

1981レイアウトスキャナー(国産初の画像処理システム「シグマグラフ2000」大日本スクリーン製)

製版課長は、

研修中の我々新入社員を前に、

製版技術の未来について、自信に満ちた声で説明してくれました。

「近い将来、文字処理システムと画像処理システムが統合され、夢のような製版システムが登場する」

「当社は、それをいち早く導入することになるだろう」

事実、

それから約10年して、CEPS(セップス)といわれる、

夢の統合製版システムが登場しました。

1993レナトス(大日本スクリーン製の印刷製版用統合システム「レナトス」)

確か当時の価格で数億円はしたように聞いていましたが、

業界にとって、不幸だったのは、

このような高額なシステムが、ほんの数年で価値を持たなくなったことでした。

それは、

DTPの登場です。

dtp

数百万の投資で、製版システムが手に入る時代が来たのです。

 

私が、アーツを設立したのは、そんな時代でした。

それでも、

一般個人までもが印刷データを作成し、

カラープリンタで印刷してしまう時代が来るとは、

想像すら出来ませんでした。

印刷技術が、

プロフェッショナルのものから、素人でも可能なスキルになったのです。

1990年当時、約9兆円あった印刷市場規模は、

昨年度5兆円台後半にまで縮小しているのは、

技術革新が生んだ大いなる誤算だったのでしょう。

 

印刷業が大好きな私ですが、

従来のビジネスモデルに固執せず、様々な分野へのチャレンジを方針としています。

もちろん、

お客さまに喜んで頂ける可能性を拡げるための試みです。